ドキュメンタリー映画「あした天気になる?」オフィシャルサイト
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サポート1月号
サポート1月号

〜試論私論〜
 主人公は誰?

                                                             映画監督 宮崎信恵

 私は長年、福祉関係の映像を創ってきた。監督としての映像製作が私の仕事である。ということは、障害のある人や援助の必要な高齢者に私の生活は依拠しているといってもいい。つまり、彼らは私のお得意様。周囲の人からは、「人の目の届かないところに視点を当てて素晴らしい仕事をしていますね」と、よくねぎらわれる。そして、ある種の感慨をこめて私の仕事は賞賛される。そこにあるのは、主人公は監督である私で、取材の対象となる人びとは脇役。だがよく考えてみると、これは変な話しだ。

そういう私のこれまでの主なお得意様は、生活に援助を必要とする高齢者だった。ここに来て、私自身が年老いたこともあり、ちょっと若い人たちへの憧れが沸々とわいてきた。時あたかも、発達障害がクローズアップされ、多くの関連書籍が本屋の棚に並ぶ時代。次なる私のお得意様はこれだ!と思った。こんなことを書いて不謹慎な、と怒られるかもしれないが、若い人たちと徹底的に付き合って見たいと思ったことは本当である。
そして創ったのが「あした天気になる?〜発達障がいある人たちの生活記録〜」というドキュメンタリーである。映画ができるまでの背景等については『サポート』11月号に舞台となった福岡サンガーデン鞍手を運営する鞍手ゆたか福祉会の長谷川正人理事長が書いておられるので読んでくだされば幸いである。

介護保険制度がスタートし、障害者自立支援法が制定され、「利用者主体」という言葉をよく聞かされる。つまり、主人公は、支援を受ける高齢者や障害者自身のはずである。だが、本当にそのことが徹底されているのだろうかそもそも「本人主体とは?」。
サンガーデンの入居者は、知的障害に自閉症など併せもっている重度の発達障害のある人たちで、行動障害のある人たちだった。開設から4年が過ぎ、私たちが取材に入ったときには、多くの人が落ち着いた生活を取り戻していた。だから、行動障害がどのように軽減されていったか、その経緯を詳細に見る事はできなかったが、約、40日間、早朝から深夜まで、時には施設に泊まり込んで、彼らと生活をともにする中で見えてきた事は、施設側の徹底的に「本人主体」を貫く姿勢であった。人権意識をベースに、ありのままの姿を受容する姿勢、と同時に、暮らしやすい環境の整備と、一人ひとりの個別性を大切にした科学的支援のあり方を常に点検する、ということが日常支援の基本に置かれていた。つまり主人公は職員でもなく、施設の経営者でもなく、はたまた親でもなく、当事者である本人たちなのである。

私は常々、障害のある人たちに対する社会の考え方におかしなところがあるのではないかと思う事がある。それは、社会が障害のある人を受け入れるのは、スポーツであれなんであれ、ともかく努力に努力を重ねている姿である。人びとはその努力する姿に感動し、涙を流して賞賛するといった図式の。つまり彼らは生涯、努力を求められ、社会適応を迫られる運命を背負わされているということである。でも、それはおかしいのではないか?
考えてみれば、彼らの生活は、訓練、また、訓練の日々である。レクリエーションも、旅行も、すべてが訓練。もちろん円滑な社会生活を身につける事は大切なことかもしれないが、どうして私たちは、そのままの彼らを受け入れることができないのだろうか?つまり社会の側に、彼らに近づく努力が、なぜ求められないのだろうか
それはやはり、彼らを特別の存在としてしか見ていないからではないか。圧倒的多数の健常者(定型発達者)といわれる私たちが主人公で、彼らは常に脇役。「保護の対象者」でしかないのだ。でも、これは、おかしい。間違っていると私は思う。健常者といわれるものの傲慢性があるのだと。

若い彼らと接する中で、発達障害をもって生きざるを得ない人たちの不自由さ、大変さを垣間見た思いがした。私たちが、いたずらに努力を求めなくても彼らは日々、生きるための戦いをしている人たちなのだということも思い知らされた。と同時に、その存在の大きさに圧倒された。ひ弱な現代人よりも彼らの方がずっと、ずっしりとした存在感に溢れている。そして感性がマヒさせられている私たちとは比べようも無いほどに、豊かな感受性を持っている。こんな彼らの魅力を一人でも多くの人に知ってもらいたいと、今回の映画のお得意様になっていただいた。
そのお得意様のご意向に、果たして、十分に答えることができるかどうか?
つまり発達障害理解の糸口になるかどうか、それはこれからの映画の普及次第である。
どうか、一人でも多くの方に、画面に溢れる若い彼らの素敵な笑顔を堪能していただきたいと思います。


    
  

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